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古くは平安貴族の花の宴であったり豊臣秀吉の山城三宝院や奈良吉野山での花見など、江戸時代以前は一部の特権階級により行われていたものが記録に残っています。
現在のようなお花見が、一般市民の間で、年中行事として広がったのは、江戸時代中期からだと言われています。
8代将軍徳川吉宗は、隅田川堤、飛鳥山、小金井堤、御殿山などに桜の木をたくさん植えさせました。
吉宗が桜を植えさせた場所は、いずれも江戸市民の遊興の地として有名になり、花見のシーズンには町民から武家階級まで大勢の江戸市民が、毎年の年中行事として訪れるようになりました。
一方、地方の農村社会では、江戸時代のはるか以前より、春、さくらの木を愛でながら宴を行う風習が各地にあったようです。
酒と肴を持って村のみんなで山に登り、さくらの花を愛で祝う、この農村社会での花見の背景には、本格的な米作り・農作業の季節を前に、春の訪れを神とともに祝い、五穀豊穣を祈るという宗教的意味合いがあったようです。
この風習が、まちへと伝わり、だんだんと宗教的意味合いが抜けて花見の形ができあがりました。
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